本殿、拝殿は戦後の復元。磴道は沖縄戦で一部破損したものが修復されています。
那覇市首里末吉町の末吉公園内にある神社。琉球八社(※1)の1つで、室町時代中期に建立され「末吉社壇(しゃだん)」の名称で親しまれる由緒あるお宮です。市内最大の自然林に囲まれており、周辺には古くからの拝所も点在しています。
「末吉宮跡」国指定史跡(昭和47年5月15日指定)
「末吉宮磴道」沖縄県指定有形文化財・建造物(昭和31年2月20日指定)
※1 波上宮、沖宮、安里八幡宮、識名宮、普天間宮、末吉宮、天久宮、金武宮の総称
歴史と由来
祭神は伊弉冉尊(イザナミノミコト)・速玉男尊(ハヤタマノオノミコト)・事解男尊(コトサカノオノミコト)。
創建は尚泰久王〈1415−1460〉時代(一説には1456年(景泰7年)とも)。天界寺の鶴翁(かくおう)和尚が熊野権現を勧請し、尚泰久王が社を建立したとされています。
またこの社の守りとして万寿寺(のち遍照寺に改称)を隣に建てたとも言われています。この寺は「末吉の寺」と呼ばれ、尚泰久王が喜捨した鐘(「末吉の開静鐘」)が、後の時代に組踊『執心鐘入』の題材にもなりました。
(縁起は『琉球神道記』『琉球国由来記』『球陽』より。)
末吉宮磴道(とうどう)
末吉宮周辺は琉球石灰岩の岩盤と谷間が入り組んだ地形を成しており、末吉宮の本殿と祭場(石造りの広場)もそれぞれ別の岩盤上に建てられています。低い方の祭場と、高い方に建てられた本殿、そしてその間に石を積み木柱を組んで建てられた拝殿、その3つを結ぶ石造りの階段が「末吉宮の磴道」と呼ばれ県指定の文化財となっています。
磴道の上に建つ拝殿。拝殿背部のさらに高い岩盤の上に本殿があります。
末吉宮への行き方
北側の首里大名町の参道入口と、南側の末吉公園からのルートがあります。
大名町側の参道入口。
末吉公園内から続く参道。
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